現状を肯定しつつ、漸進的な進歩を目指すと幸せ?
人生における進歩主義を捨てられると幸せ?みたいなことを以前考えていた
- これはそうだとは思うが、実際問題この資本主義社会(?)でそれをやるのは難しそうだなと
- 全てにおいて成長/改善を放棄して、金も人間関係もない状態で1人で隠居して幸せになれる自信はあまりない
もっと現実的な考え方として、現状を肯定しつつ、無理せず漸進的に良くしていくマインドセットが幸福につながるのかなと思ったり
i.e. 「こうありたい」という遠いgoalを持ってそこに辿り着こうとすると、上手くいかない時に現状を肯定できなくて悲しい
- そうではなく、現状にある幸せや良さを見つけて肯定してあげた上で、そこ基準から一歩betterと思える状態に行けるように行動する方が幸せなんじゃないかなと
- 現状を肯定できる上に、小さい一歩先の改善にも達成感を感じられる
- そうではなく、現状にある幸せや良さを見つけて肯定してあげた上で、そこ基準から一歩betterと思える状態に行けるように行動する方が幸せなんじゃないかなと
数式で表現したい(頭の中では結構そのイメージで考えている)
- ただ面倒なので気が向いたら
具体例としては、2022渡米日記での人間関係の捉え方など
- 前提として、多分人間関係は適度に多い方が楽しい
- ただ、例えば友達多い人とか彼女がいる人をみて、自分も「そうありたい」と思ってしまうと現状を肯定できずに悲しくなる
- そうではなく、現状の人間関係に幸せを見出しつつ、小さな行動で少しづつより良い人間関係構築へ進んでいくマインドセットの方が精神安定によさそう
- 2022渡米日記
現実的にできる小さい改善を積み重ねていきたい気持ち
Ex: 積極的に交流会に参加する, 人を夕飯に誘う, 見かけた知り合いに話しかける, など
その改善チャレンジ自体が達成できると自己肯定感上がるので良い
学業においても同じことが言えそう
- A+を取ろう、と思うと腹が痛くなる
- 現状からの成長を基準に考えれば、気が楽になる
多分、マクロなレイヤー(人生, キャリアなど)でこのマインドセットになってないと、ミクロなレイヤー(化学の成績など)でもこの考え方ができなさそう
- 例えば、キャリアにおいて「トップ米国大学院に入りたい」と思っていると、そのために良いGPAを取らないといけないから「化学の試験でAを取りたい」、となってしまう
- vice versa
- 例えば、キャリアにおいて「トップ米国大学院に入りたい」と思っていると、そのために良いGPAを取らないといけないから「化学の試験でAを取りたい」、となってしまう
たぶんが言っている実績解除マインドというのも、同じようなものな気がしている
- 名前が分かりやすくて良い
「競争社会が辛い」みたいなことを言う時、この目標達成を目指す辛さが原因なことが多そう?
- これ以外の辛さの要素もある気はするが
「こうありたい」(「こうあるべき」)は突き詰めれば社会通念とかから来る外的なものがち
- それが達成されたところで幸せかは分からん
- 人には人の地獄がある & 足るを知る的な
これ、もっと一般化できて、
counterclaim
- 仮に何かの軸において「進歩によって幸せがより得られる」が真だとする
- その場合、目標を設定することで進歩するプレッシャーが生まれ、より進歩できる
- ので、漸進的な進歩を意識するより目標を設定するべき
- それはそう
- まあ要はバランス