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が難しい能力に言及したいときに使う言葉? 「センス」という言葉が指す能力の共通認識が持てている場合は、それでコミュニケーションは問題なさそう 例えば「色彩センス」とか「ファッションセンス」とかは大体認識が共有されていそう ただ、そうでない場合にという言葉を使うと意思疎通が難しそう 特に、何かを批判するときに「センスが無い」という曖昧な主張をするのは危険そうだなーと思った そもそもの定義が曖昧なのでまともに議論ができない その上、「他の人は共通認識を持てていて、自分だけ持てていないのかも」と主張を聞いた人は思ってしまう 「センス」が無いと思われる不安で、批判に対して反論/議論するハードルが上がりそう っぽさもある に関する批判と同じで、「要はセンス」で議論を終えずにセンスの意味を思考することで分かることがありそう +100 細かいスキルや経験則が複雑に絡み合って作られた意思決定を、その過程がブラックボックス化された状態で解釈する時、みたいな捉え方をしていた e.g. 「色彩のセンスが良い」という場合も、センスが良い人は配色パターンとかをスキル的に/経験的に理解してて、それぞれの選択に理由があるんだけど、全体のプロセスがブラックボックス化しているせいで「センス」という能力的なものに見える、って感じ 同意、言語化が難しい能力を指す感じ...
...数式で表現したい(頭の中では結構そのイメージで考えている) ただ面倒なので気が向いたら 具体例としては、での人間関係の捉え方など 前提として、多分人間関係は適度に多い方が楽しい ただ、例えば友達多い人とか彼女がいる人をみて、自分も「そうありたい」と思ってしまうと現状を肯定できずに悲しくなる そうではなく、現状の人間関係に幸せを見出しつつ、小さな行動で少しづつより良い人間関係構築へ進んでいくマインドセットの方が精神安定によさそう > 現実的にできる小さい改善を積み重ねていきたい気持ち > Ex: 積極的に交流会に参加する, 人を夕飯に誘う, 見かけた知り合いに話しかける, など > その改善チャレンジ自体が達成できると自己肯定感上がるので良い 学業においても同じことが言えそう A+を取ろう、と思うと腹が痛くなる 現状からの成長を基準に考えれば、気が楽になる 多分、マクロなレイヤー(人生, キャリアなど)でこのマインドセットになってないと、ミクロなレイヤー(化学の成績など)でもこの考え方ができなさそう 例えば、キャリアにおいて「トップ米国大学院に入りたい」と思っていると、そのために良いGPAを取らないといけないから「化学の試験でAを取りたい」、となってしまう vice versa たぶんが言っているというのも、同じようなものな気がしている 名前が分かりやすくて良い 「が辛い」みたいなことを言う時、この目標達成を目指す辛さが原因なことが多そう? これ以外の辛さの要素もある気はするが 「こうありたい」(「こうあるべき」)は突き詰めれば社会通念とかから来る外的なものがち それが達成されたところで幸せかは分からん & 的な これ、もっとできて、 counterclaim 仮に何かの軸において「進歩によって幸せがより得られる」が真だとする その場合、目標を設定することで進歩するプレッシャーが生まれ、より進歩できる ので、漸進的な進歩を意識するより目標を設定するべき それはそう......