複数の評価軸を重み付けした集まりとしての幸福
ウェルビーイング、幸福ってなんだろうみたいなことを、TOKYO MIDTOWN AWARDで色々練る過程でと考えた
その過程で生まれた「幸福」の解釈(仮説)
幸福は、その時自分が信じる評価軸が重み付けされた集合みたいな感じ
- 雑な例: 学生であれば、「成績」「人間関係」「ゲームのスコア」などの評価軸の集合が「幸福」
- 最近の僕: 「新しい体験」「面白い思考」「人間関係」etc
- 「新しい体験」が結構significantな軸である事は、未体験を選んでいく, 世界の霧のような生き方あたりに出ている
現在持ってる軸と幸せを同一視してしまうことが多いけど、それらは移り変わるし、自在に替えられるもの
- 適当なきっかけがあれば、考え方は変わる
- 今の幸せの価値観が絶対だと思いこまない方が、幸せの最大化につながる
- 上手く軸を取っ替えられれば都合の悪い軸を省けたりするし
それでいうと、「新しい軸をたくさん持っていった方が良い」という軸が生じ、世界の霧のような生き方に帰着する?
これ、評価軸というより関数とパラメーターって言った方がわかりやすいな
- $幸福(t)=\Sigma{}(信じるパラメーター\times重み)$
- (雑な数式、雰囲気が伝われば)
- $幸福(t)=\Sigma{}(信じるパラメーター\times重み)$