幸福の手段を目的化してしまうと辛さが生まれる
幸福
幸福は、状況の良さをしたもの?
速度に対しての加速度みたいな
では?という主張もある
https://note.com/fladdict/n/n9a7a812c36f3 @
幸福は鈍化する
でかい幸せ一度より、小さい幸せたくさんの方が効果的
...
「いったんやり始めたら、経験値が貯まって上達してきた。せっかく習熟したやり方を変えたくない」というサンクコストが邪魔をするケース
目標のための手段として、ゴール設定を小分けにすることで、努力が報われる快感が発生するので、その快感を手放したくなくなるというケース
目標のための手段を、仮の目標としているうちに、本来の目標を忘れてしまうケース
対策
本質的な目的を自問自答し続ける
他人と話して、意見を聞く
https://twitter.com/fromdusktildawn/status/1330305965246312451
> 英語でも数学でもプログラミングでも、学習効率が最高になるのは「手段が目的化」するという本末転倒が起きたとき。
> 本来、英語・数学・プログラミングは、仕事や生活のための手段でしかないのに、それ自体が面白くなって愛が芽生えるとき、学習効率は最高潮に達する。
https://twitter.com/drinami/status/1330652241871601666
...幸福
手段の目的化
人生の根本的な評価関数を考えて追求したいとか、複数の評価軸を重み付けした集まりとしての幸福でimplyされていたこととして、これがありそう
色々な悩みについて一般的にこれが言えそうな気がしている
一方で、手段としての「手段の目的化」もあるだろうなと思った
- 人生における進歩主義を捨てられると幸せ?に書いた話