人生の根本的な評価関数を考えて追求したい
202110
人、「XXの社会課題を解決したい」とか「YYの研究をしたい」とか色々な目的を掲げがち
ただ、どんな目的を持った所で、それらは結局のところ自分の楽しさ/幸福を実現するための手段でしかなさそう
- (と個人的には考えている)
- ↑に挙げたような目的は、評価関数の出力を高くするための解の一つにすぎない
- 幸福の手段を目的化してしまうと辛さが生まれる
なので、闇雲に解を探すより、根本的な評価関数がなんなのかを考えるべきだなーと思っている
i.e. 解は手段の一つでしかないのに、手段の目的化をするのはよくなさそう
- (ここでの「手段」は、本質的には手段である短期的な目標を指している)
- 何を言っているのか自分でも分からなくなってきた
- 目的意識が強すぎるのは良くない
- 学歴とか収入とかにこだわるよりQoL考えよう、みたいなのも同じ話だと思う
- (階層高い事を考えたくなりがちが出ている)
- (ここでの「手段」は、本質的には手段である短期的な目標を指している)
202204
- 人生の根本的な評価関数を考えて追求したいを、最近は「社会課題解決とかみたいな事を目指さずに、プロセスの面白さのみを追求すべき」と言い換えてしまっていた気がする
- 元々はそんなこと考えていなかったが、いつの間にか意識していることがすり替わっていた
- (Scrapboxに書いていたことを見返して気づけた)
- 元々はそんなこと考えていなかったが、いつの間にか意識していることがすり替わっていた
- しかし、プロセスの面白さのみに依存/執着するべきではないのかも
- それこそプロセスに執着してしまった結果pivot出来ずにやりたい事が達成できないのも違う
- (目的達成による幸福が達成されないという意味で)
- 本質的には、依存先を増やすことが大事ということでは
- やることの達成感とか、プロセスの面白さとか、色々な幸福のsourceがあるべきでは
- そういう意味で、社会の良くする様な何かを目指す/成す事も幸福のsourceの一つ
- 中庸な気持ち
- ディープテック起業家への招待
- やることの達成感とか、プロセスの面白さとか、色々な幸福のsourceがあるべきでは
- これだな〜
- それこそプロセスに執着してしまった結果pivot出来ずにやりたい事が達成できないのも違う
- 「社会変革を目指す」とか「引用される論文をたくさん書く事を目指す」とか「高収入を目指す」とか「世界の霧のような生き方」とかの目標は、それぞれがゲーム(行動に対して報酬が返ってくるシステム)であると言える?
- その中で、自分がどのゲームに没入するか(どのゲームの楽しさを感じるか)を考える、という感じなのかな
- 没入 = そのゲームにおける報酬を幸福と認識する、みたいな意味で使っている
- ここで依存先を増やすことが大事そう
- i.e. 色々なゲームの楽しさを見出すことが大事
- その中で、自分がどのゲームに没入するか(どのゲームの楽しさを感じるか)を考える、という感じなのかな
- 最初の「社会課題解決とかみたいな事を目指さずに、プロセスの面白さのみを追求すべき」に戻ると、
- そうではなく、①プロセスと目標両方に幸せのsourceを分散するべきで、②目指す事もさまざまなゲームに分散するべき
- ということな気がする
20220629
- あとは、そもそも幸福の手段を目的化してしまうと辛さが生まれるってのがありそう
20220712 ドゥルーズの哲学原理とか読んでいると、評価関数を固定的なものだと捉えない方が良いなと思えてきた
20220803
- これ、いままで書いていた内容は結構幸福主義的な前提がありそう
- 一般的に「幸福」と捉えられるもののみが注目すべき評価関数の出力である、という視点