Kinetoの対話
#pKineto #対話
/blu3mo-private/未踏10/2報告FBで結構いろいろ勉強になった
時間軸周りの話
- 現実の時間軸で過去の人たちと、衝突した時
- 現実の時間軸で未来の人を優先すべきかどうか
- 時間軸だからこその体験とか考えたい
- 何かを引っ張り合うとか
- ゲーム的要素あった方が良いのかも?
- 現実の時間軸で過去の人たちと、衝突した時
キモは、同期と疑似同期の行き来
- 同期と非同期の狭間を追うみたいな
先生側で、時間軸全体を俯瞰できる方法が欲しいね
Spatial chatを時間軸でやる、みたいなイメージが良さそう
自分でやる授業案
見たいもの
- 質問をして、それを見るために戻ってくるみたいな
core: 結局のところ、同期的対話なんて幻想
drinami:感情を共有させたいのか、情報を共有させたいのかでインターフェースも変わってくるよね
- 今の所情報メインのイメージ
- なら情報を共有するときに役立つようにすべき?
- 疑似同期だとperfectな同期じゃないから、より曖昧なものである感情にフォーカスした方が良いと言う考え方も
- 感情も有効かも
何かのボタンを押すと、別次元に飛んでそこで同期的に議論できる、みたいな機能欲しいかも
いや、むしろ細かい議論は無理にkineto使わず、別チャネル(scrapboxとかzoom)でやってくれって感じかも
- 映像に付属していることに価値がある、その場のコミュニケーション(感情や軽い情報の伝達)をメインとする
- そうなると、複雑な議論に向いている別チャネルへの導線が欲しいね
- ex: https://twitter.com/ochyai/status/1347864732212944896
先頭集団が何も見れない問題、書いた物が結構長く残るようにすれば解決するかも
- 後ろの人が書いたものはtenetの悪役のタイムカプセル的に未来に届く
- 未来の人が書いた物は後ろの人にしばらくすれば届く
- (これ、ユーザテストしないと気づけなかった現象かもしれん)
- (この話、結構「時間」というテーマで面白い話なので発表会のネタとして良さそう)
- 先生側があとで見返せると嬉しいと言う話
- 先生側があとで見返せると嬉しいと言う話
- 同期的授業と非同期的授業の良いとこどりをすると何が嬉しいか、という根本的なところを忘れかけていた気がする、それを再確認できてよかった
- 疑似同期云々以前の話
あたりで、有益な話多かった
LineとかScrapbox対話とかは基本的に非同期と同期が入り混じっているけど、これは疑似同期と同期が入り混じっている、という対比になる
- 疑似同期の本質を理解しないとだなと
- それが、映像授業withDocsとの違いになる
- 疑似同期>非同期というassumptionがどこで働くのかというのも重要
- 繋がっていない嬉しさみたいなのも多いと思う
あるいみ、非同期の究極は本?
- 別に究極ではないか、あくまでも例の一つか
面白い発想として、全部疑似同期の海に突っ込んじゃうという方向性
- 生徒だけではなく先生もぎじどうきのうみに
- さらに、教材とかも時間軸上を移動できるようにする
- アクターネットワーク理論が着想のきっかけ
手書き
- https://mm.hyuki.net/n/n34c00bdebb44?magazine_key=m73f865053b52
対処法の一つは、対話というチャネルで「情報」だけを行き来させるのではなく、自分の気持ちや理解の状態といった「メタ情報」を行き来させることです。
- チャットに比べて、手書きはメタ情報が多い
- あと、映像に書き込んでいるという意識だとkinetoのコンセプトが理解しやすそう
- 文字が紐づく、とかじゃなくてもう映像に書き込みを加えて編集していると言う意識を持てる
- あと、時間方向の解像度が高いという
以下は10/2以前に書いてた内容
媒体はKinetoの映像ノート
- なぜ?
- ノートじゃないと、ニコニコだったら「ツッコミ」みたいな、書く目的が生まれにくい
- ノートを書くという既存の概念に重ねられる
先生の意図の元行われる生徒間対話と、先生の意図してないところで生まれる対話の両方がある
- 後者は、従来の授業だと隣の人との雑談など
チャットとかGoogle Docsのコミュニケーションとの違い
- 画面上に永遠に残るわけではない
- でも映像会話とかと違って、戻ることで再度見ることも可能
- so what?
- 画面上に永遠に残るわけではない
同期してるものと疑似同期してる物が混じり合う体験
- 返事が帰ってこないこともある前提のコミュニケーション
- 何か書くだけでも価値ありという考えかた?]
- 返事が帰ってこないこともある前提のコミュニケーション
そもそもなぜこんなことをやっているか
- 非同期的に授業を受けている環境でも対話したい
- ノートである必要性が、そんなにない
- ニコニコ的チャットでよくない?という
- 本来やりたかったことをひきづっている?
これがニコニコじゃない理由
- ニコニコは一体感が最大の目的だけど、kientoは対話/考えの共有が目的? (弱いな)
- 同期的対話もできるようになってる (ニコニコも一応可能か)
- まあやっぱり速度操作に自信を持つべきだな
- あとペン書き込みは価値ある
- 追記: 最大の価値は、メッセージが流れていかないで場に残る(残せる)って点かな
ペン持ってる人少ない問題
- 学校だと20%程度だった
- これでも特異な例だと思う
- ジェスチャー(マークアップ)とキー入力でも近い体験を再現できるんじゃないかなーと思う
- (授業間対話については)
- いや、授業間対話とノートに違いないか
- ペンの方が嬉しいこと
- 他人の存在を感じられる(コミュニケーションにおいては重要)
- 「ノート」という旧来のメディアに乗っかれる
- 内向きの情報発信で対話できる
- ペンは本質ではないとすれば問題ない(これに自信が持てていなかった)
- 学校だと20%程度だった
オンライン授業については、オンラインで生徒間対話が生まれない問題の解決になるという捉え方も #kineto