存在/認識関係の哲学の概念を自分の中で整理したい
存在/認識関係の哲学の単語を自分の中で整理したい
頭の中で概念の包含関係や立場の違いを整理して、この辺りの分野の脳内マップを作りたい
- 現状全然出来ていない
英語対応も確認したいな
@blu3mo: とりあえず最低限(東西南北くらい)は分かって来た気がするので、後は興味の湧くところから学んでいけばそのうち繋がりの地図が見えてくるのかなという気持ち https://t.co/XmiXY6wfLQ
- 「内容を深く理解しないままつながりだけ理解する」ことは難しい上にそこまで意味もなさそうなので、それよりは興味の湧くところから深掘るのをやっていく方が良さそう
- 焦らずそれを続けていればだんだんと地図がクリアになっていくのかな、と
- 具体的に言えば、とりあえず今は現象学のあたりを深く知りたい
- これが分かっただけでも、東西南北を把握した意味はあった気はする
- 「内容を深く理解しないままつながりだけ理解する」ことは難しい上にそこまで意味もなさそうなので、それよりは興味の湧くところから深掘るのをやっていく方が良さそう
結局何?と思っている概念
map
- このspectrumの捉え方はまああっていそう..?
root
- https://gentosha-go.com/articles/-/34048
- 古典的三分類
①認識論(知識論):世界とそこに存在する事物に対する「認識」を問うもの。
②存在論(形而上学):世界とそこに存在する事物の「本質」を問うもの。
③倫理学(倫理哲学、道徳哲学):人間の良いあり方や、正しいあり方について問うもの。
- 認識論 Epistemology
認識論(独:Erkenntnistheorie、仏:Épistémologie、英:epistemology)は、認識や知識の起源、構造、範囲、方法などについて考察するもので、ヒトの外の世界をいかに認識していくかを問うものです。主題としては、「人はどのようにして物事を正しく知ることができるのか」「人はどのようにして物事について誤った考え方を抱くのか」「人間にとって不可知の領域はあるか、あるとしたらどのような形で存在するのか」などが扱われます。
- 手法は知らんけど、目指していることは認知科学っぽい?
認識主体と認識客体のいずれに重点を置いて考えるのかによって、観念論(観念的・精神的なものが外界とは独立してあるという立場)と実在論(概念や観念に対応するものがそれ自体として実在しているという立場)に分かれます。
- ちょっと違うかもしれないらしい
- 実在論は認識論と存在論のどっちかに置く
- ちょっと違うかもしれないらしい
- 観念論vs実在論
- 観念論 en:Idealism
認識論における狭義の観念論は、心的表象としての観念(idea)を超えて事物の存在を語ることを認めず、知覚から独立した外的事物の実在性を否認する立場。「存在するとは知覚されることである」とするバークリー(George Berkeley 1685~1753)の思考が典型。
- 結構こっちの考え方が今は好き
観念論は独我論に陥る可能性をはらむが、それを洗練させる思考の一つに現象主義がある。 https://imidas.jp/genre/detail/L-101-0035.html
- 実在論
対して、外的事物の実在を積極的に認める立場が認識論上の実在論。これにも、表象が事物のあり方を直接反映すると考える直接的実在論(direct realism)や、表象の主観性を前提としつつも、外的事物の実在を認める表象主義的実在論(representative realism)などがある。
- ん、これは存在論にならない..?
- 観念論 - 実在論 - 存在論 というspectrum?
- ん、これは存在論にならない..?
また、自らの認識論上の立場を、超越論的観念論(der transzendentale Idealismus 独)と呼ぶカント(Immanuel Kant 1724~1804)は、認識対象を現象に限定しつつも、物自体の存在を認め、また認識の客観的妥当性を確保しようとした。
カント以降ドイツでは、フィヒテ(Johann Gottlieb Fichte 1762~1814)、シェリング(Friedrich Wilhelm Joseph von Schelling 1775~1854)、ヘーゲル(Georg Wilhelm Friedrich Hegel 1770~1831)らが、それぞれ、カントが考えた主体の能動性や、経験的意識を超えた理念(Idee独)の積極的意味をさらに徹底させる思考を展開したが、しばしば一括してドイツ観念論(der deutsche Idealismus 独)と呼ばれる。
- 観念論 en:Idealism
- イギリス経験論vs大陸合理論
これらの大陸合理論、経験論に対して、人間自身の理性的な能力を反省するカントは、神の存在証明は二律背反であるとして理性の限界を示し、理論的な学問としての形而上学を否定した[[5]]。カントは、その著書『プロレゴメナ』において、それまでの形而上学を「独断論」と呼んで批判し、ヒュームが独断論のまどろみから眼覚めさせたとした。以後、哲学の中心的なテーマは、認識論へと移っていった。
- ちょっとまだ認識論vs存在論との繋がりが見えていない
- 現象学
- 存在論 Ontology
- https://gentosha-go.com/articles/-/34048
miscellaneous
書いたら /villagepump, /arplaに投げてみて誤解など確認したいな