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from の Rn46あたり - > もの自体の人格が純粋に思推して、人間がなすべきこを命令する「一般的」道徳法則を立てる能力 前提として、(各人格の主観的な規則/原理)がある 内的命令みたいな でいうやつ これらの各人格の規則を一般化した「一般的法則」を、見出したり推論する能力が実践理性であるとしている 道徳とか、法とか ここの一般性によって、人々(主権者)は一般的法則に拘束されている? よく理解できていない❓ > カントの自由の概念は、主権者すらも拘束される一般的法則という形式によって妥当する の批判 > ヘーゲルは、カントにおける法則の形式的一般性は、「人倫的生活」の具体的インフラストラクチャーと結びつけるべきとした , 等 追いついてないけど、この辺りはネットにも解説多いだろうから復習しよう 結局ふわっとした理解のままなので、自習する良い機会 なんかこの辺り、日常に意味のある用語にいろんな意味が付与されているから分かりづらさがある 精神とか国家とか家族とか社会とか...
目標を一言でいえば、理性の批判 同時に、理性を信じていることへの批判でもありそう 前提として、の関係を掴むのが大事だな : 経験できるものベース : 頭の中の思考ベース みたいな感じかな? は、合理論批判でもあるっぽい アプリオリは、経験論的な「経験」をせずとも持ち合わせている カントはこの二つを統合した 仮像 真実とは異なる見かけ・先入観 の定義とかでも言われている話だな 仮象とかいう時の、何か絶対的真実/本質が存在するという仮定が疑問❓ カント以前から、経験的仮象はあるねと言われてきた 感覚的な錯覚とか カントはそれにとどまらず、もあるねと言った 理性, に対する疑い とかあるよね、という 、みたいな主張だな のとかもこれの先駆けではあったが、それを徹底してやったのが > がその徹底性のあまり行き過ぎに陥った とは? 徹底しすぎてこまることがわからん この二つを分けて話すの、あまりしっくりきていない❓ レイヤーが違うと言いたそうだけど、そう..? 超越論的仮象あるやんとなった例として、 真も偽も理性で証明できてしまう、みたいな時 例1: 時間が無限/有限かという問い うーん、なんかどっちの「証明」も議論が雑な気がしてしまう 色々ツッコミどころあるし、もっと数学/物理学で緻密に議論できるだろ、と思ってしまった まあでもこのツッコミどころ有りbilityはどこまで突き詰めてもあると推論して、理性を批判している? でもその推論は結構疑問だな 今の所、カントの理性が微妙という話しかされていない気がするw まあでもこれは例/原体験の一つでしかなくて、これをもっと続きで議論してく感じかな 3......
哲学の用語について無知すぎる なので、とりあえずこれで全体像を掴んでから、認識論とか形而上学のもっと専門的な本を読んでいこうかなと思う 軽いメモとかを下に書いていく、肥大化してきたら別のページ作る まじで何も知らないので↓のメモは間違ってる/おかしい点たくさんあると思う (disclaimer) (人間は万仏の尺度) 観とかは各人で相対的なだけでなく、時間に対しても的なんだろうなーと思った 昨晩の自分とも違うし、5年後の自分とも違う 今の自分の中に、相対主義がすごい強くあるなーと思う 相対主義に対する批判 > 「いかなる命題も、絶対に正しいということはない」 じゃあ↑も絶対に正しいことはなくない?という自己矛盾 徳ってなんだろうと思ったけど、逆に「につながる物」を[[徳]]としているのかなーと思った 自分が幸福を感じるのは何かについての知識を持とうよってこと? でもは善を普遍的なものだと捉えてるのか 知徳合一を相対主義ベースで考えると↑みたいな考え方になるのかな み 「善のイデアが最高のイデア」 最高のイデアってなんだろう(なんの評価軸において最高?) イデアは絶対的(変化しない)ものとプラトンは捉えてたっぽいけど、イデアはあくまでも人間が持つ「定義」な気がする そうなると絶対的善(善のイデア)が存在するって考えも変 精神(自己)と物体を分けた考え これは現代のテクノロジーで結構拡張できそう 四肢と、脳 外部のもの を同じ捉え方で見ている 続編もあるのでぜひ読んでみてください! 中国と日本の思想、分析哲学その他について扱っている 図書館でちょっと読みました🙌 も併せて読むとより理解が深まります! もおすすめです! 🙏🙏...
... > また、自らの認識論上の立場を、超越論的観念論(der transzendentale Idealismus 独)と呼ぶカント(Immanuel Kant 1724~1804)は、認識対象を現象に限定しつつも、物自体の存在を認め、また認識の客観的妥当性を確保しようとした。 > カント以降ドイツでは、フィヒテ(Johann Gottlieb...
単なる技術者の職業倫理よりgeneralな話をしている 良い 善のイデアで魂の調和とか言ってる 何も納得できん うーん、組み込み方が分からんな というか絶対的正義があるとしているが、それは論考の前提と矛盾 別ソースだと、合意形成できた物という主張もある これに関しては人工現実感だと正義が崩壊するな を批判して、それぞれのケースに色々な善がある、と ではないのか、あるケースにおける善は一意に定まると言っているので その善は、そのケースにおける「目的」を果たす事 目的論, 結果ベースで善を判断 人の目的=善は、幸福であるとしている これは功利主義っぽさがある? これは人格の倫理になっちゃうので論考とはあまり関係なさそう 行動の意思だけが善の根拠になる、と 結果より意図が大事 「正しさ」の定義 あ 第9章 /tkgshn-private/科学者の社会的責任 近い?...
vs en: vs by https://en.wikipedia.org/wiki/Nomotheticandidiographic 法則定立的 > Nomothetic is based on what Kant described as a tendency to generalize, and is typical for the natural sciences. It describes the effort to derive...
from 馬路ゼミで書いた話 規範的議論に使える普遍的な評価軸なんて存在しないことに気づいた。(今までは、人類が倫理学を突き詰めた結果何かしらの普遍的な評価軸は見つけていて、その上に「良いXXとは」等の規範的議論を積み上げているのだと思っていた。) 多少頑張ると共通の規範となる倫理(功利主義など)が見出せるから、そのノリでもっと突き詰めれば絶対的評価軸があると錯覚していた はこの「絶対的評価軸」を元に「しっかりした」倫理的評価を行いたいと思っていたけど、それが不可能なことに気づいて絶望した これがってやつか そうなると、って何をやる..? 結局突き詰めるとお気持ちのぶつけ合いになる? もしくは、広まると特定の目的(例えば統治とか)に役に立つ道徳とはなんだろうと考えるとか? これは規範ではなく事実の議論な気はする とかは、これを踏まえてそれでもなぜか存在する規範を説明するためになどの概念を持ち出した、みたいな感じなのかな 思考停止みを感じるけど 絶対的に「Xである」みたいな事は言えないから、何かしらの仮定を置いて「XならばYである」という事を言い続ける事しかできなくて、ただそれにも意義はあるのだろうなという気持ち のと同じ話 の話っぽい...
[Husserl]]とのの違いとは 今のところ違いが理解できていない というかKantの認識論をほとんど理解していない まあでも現象学を少し調べたおかげで、そこから差分ベースで他の思想も学んでいけるのは良いこと 予想 が(不可知であるとしても)存在はすると仮定したのが 「存在する」と言う仮定は、その存在を世界で共有しているという仮定にもつながる? ...