どんな"Reality"の姿が「良い」か
前提:
- 相対的な現実の世界観
- 検索がなくなる日
検索がなくなる日
@HomeiMiyashita: 「検索がなくなる日」がやってくる。情報でもコンテンツでも、探すのではなく生成して享受する時代がくる。人々がみんなそれぞれ、見たいものを生成して見たり、聞きたいものを生成して聞くようになる。その情報やコンテンツが現実世界に存在していたかどうかは、もはや考えることすら、無意味になる。 このスレッド、実質的にと同じそう @HomeiMiyashita: 「能動的に何かを探す」なんて、郷愁でする物好きの行為。必死に探したところで、どうせ存在しないか、理想とズレたものしかない。現実世界なんてそんなもん。AIが好みを察して生成する情報やコンテンツのほうが満足できるし、黙ってても出てくるから楽。そして、恋愛対象すら探す時代から作る時代へ。 ...
その上で、どんな"現実“と人の関わり方が良いか、みたいな議論
例えば、big techが全部幸福まで決めたdistopia的な世界とか嫌だな〜とかなる
この辺りを倫理的規範から演繹的に導きたかったのが馬路ゼミ論考1Sセメ
ただ、倫理って相対的だな〜となって答えが出なかったので、メタ倫理学あたりを学びつつ考えたい気持ち
結構最近興味がある問い