規則のパラドックス
from 東大1S 法と社会 規則のパラドックス - > いかなる行為も規則と一致させる事ができるから、規則は行為の仕方を決定できない - ヴィトゲンシュタイン - ルールなんて屁理屈でなんとでもなるという話..? - 違うかも - 例えば、足し算が何回も行われているのを見たところで、x + y のルールが自分の知る足し算と同じであると確信できない - なぜなら、それはクワス算かもしれないから - > x と y がどちらも57より小さいとき - > x + y = x と y の和 - > 上記以外のとき - > x + y = 5 - そんな感じで、規則が有限界しか試行されないのであれば、法の理解に確証を持つことはできない - これが導出の不確定性ってやつかな - プログラムファイルだけがあっても、そのコンパイラの仕様が何か分からない以上どう動くか分からない、と言う感じか - これが自分にとって一番分かりやすいな - 以下は論点をたぶん誤解していた時のメモ - いやルール自体を見ればええやん、と思った - 反論: - 法を見たところで、それの意味する所は結局具体的状況で導出しないと分からない - クワス算はシンプルだから、自分達でも「58以上の数字で導出してみたら違うかも?」と考えられる - もっと複雑なルールで同様のことができるとは限らない - > あるルールが何を許し何を許していないかは規則のみからは知る事ができず、導出の不確定性を前提にせざるをえない - とはいえ規則における場合分けを全探索してテストすれば良いのでは? - 実際プログラムのテストはそういう書き方をしているはず - まあでもこれもプログラム言語の仕様は共有されていることを前提としているのか - そうなった時に、ルールを守るって何?という問いが生まれる - このパラドックスをどう解消して、規則の正当性をどう回復するのか - これは法哲学の領域 - めっちゃ数学/論理学だな - 今の所理系科目の気分 - 規則のパラドックスの問題に対しての解とは - 実践空間 という考え方 - > 実践空間にて、自分達は論理的可能性を最初から無視して、規則ベースでさまざまな実践を展開している - 言いたいのは多分以下の様な話 - 確かにルール自体からは「何を許し、何を許さないか」は分からない - 無限の論理的可能性がある - ただ、どんな場合(実践空間)でも合意された文脈はあるし、それを使えばルールが何を許し何を許さないかはわかるじゃん - 合意された文脈を共通知と言う - 人間そういうもんじゃん、無数の論理的可能性を無視して生きている - これが一般的な法学の考え方らしい - 急に理論の話から実用上の話になった - まあ実用に話を移すっていうのがそもそもの主張だから当然か - でもなんか、理論の話をしていたら「そんな話実用上どうでもいいじゃん」と言われた気分 - > 一つの可能性を選択して、他の可能性を排除するコミットメントには意義がある - ここの選び方が、「何を守るか」を考えることや、パラドックス下で規則の正当性を回復することに繋がる - アスペクト論という考え方もこれ - 「〜として見る」と「〜が見える」を区別する考え方っぽい? - > アスペクト把握: ある概念の適用の仕方(技術知)を学んだ者だけに立ち現れる相貌 - うさぎの絵が隠れた絵を見た時に、うさぎという概念を習得した者だけアスペクト把握できる、みたいな - なぜこの考え方がパラドックスの解になるのか - 導出の不確定性は、「適用の源泉としての意味(論理的な意味)を一意に絞れない」と言っている - けど、アスペクト論の観点に立つと、規則には論理的な意味の一歩手前に実践的な意味があると捉えられる - 実践的な意味は、実践空間にて選択された意味の論理的可能性 - 適用の源泉は実践的な意味の方だ、と考えれば、導出の不確定性と矛盾せずに法の正当性を見出せる - 法学は、その実践的な意味の方を研究したい - プログラムに例えると、 - ソースコード自体で処理が一意に定まるのではなく、ソースコードとコンパイラの仕様が組み合わさって処理が定まる(アスペクト論) - ので、ソースコードのみで処理が一意に定まらない(導出の不確定性)のは確かにそうだけど、実務上は今使っているコンパイラの仕様ベースで処理を考えれば良いので問題なし - - この図の下の方にあるように「実践」「実践知」「ルール」は影響を与えてループしている - ルールが実践(i.e. 自分達の行動)に影響を与えて、それが実践知(i.e. 暗黙の了解)に影響を与え、それがルール(i.e. 解釈された法, 法の実践的な意味)に影響を与える - そうね - あと、実践空間と法の空間を分ける世界観がある - 人々の意識の中にある「ルール(コンベンション/慣習/しきたり)」と「法命題」を分けて考えるの面白いな - 同一視していた - 実践知がコンパイラ、法命題がソースコード、「ルール(コンベンション/慣習/しきたり)」がバイナリって感じかな - 感想 - 確かに内容は難しいけど、分かりやすさを意識して説明してくれている気がする - 結構当たり前のことを難しい言葉によって説明されている気はするけど、おそらく今後議論する内容の礎になる概念とか語彙なのかなと思っておく