目的意識が強すぎるのは良くない
目的意識が強すぎると、あらゆるものがその目的のための利害で測られるようになって、あらゆるものが目的のための手段になる
目的が尺度を規定するので、ひとつの目的を中心に行動すると画一的な尺度に縛られるようになるということ
↑とは別に、人生の根本的な評価関数を考えて追求したいなと考えている
目的 or 大事にしたい価値?
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目的意識が強すぎると、あらゆるものがその目的のための利害で測られるようになって、あらゆるものが目的のための手段になる
目的が尺度を規定するので、ひとつの目的を中心に行動すると画一的な尺度に縛られるようになるということ
↑とは別に、人生の根本的な評価関数を考えて追求したいなと考えている
目的 or 大事にしたい価値?
下に書いたこと、正確には少し違うなと思った であって、新しい物を好む性格ではない 世界の霧の楽しさも、ただ新しい空間に移動することではなく、そこで新しい発見をする事 ずっとこの文章について引っかかっていたことが解消できた がどういう生き方をしたいかという点で、の世界観が結構近いかもなんて思っている できる限り多くの体験をする、という事を目指して生きる 新しい体験をすることを幸せに感じる が近い 徒歩/自転車でじっくり近場を晴らしたり 電車とか車とかで大きい道を高速に晴らしたり 旅行で行った離れた地域を短期重点的に晴らしたり 新しい体験をする事を目指していれば、たとえ何かトラブルが合ったとしてもそれを「新しい体験」としてポジティブに捉えられる (ex: スマホ無しiPad無しで東京サバイバル 20210626) 世界の霧で「最短経路では無い道を選んでしまっても、霧が晴れるからストレスが生まれない」ってのと同じ 新しい体験をする事を目指す、について 何かを選択する時に、実際のところ「これで新しい体験を得られるかどうか」ってあんまりわからない なので、選択の時点で「新しい体験っぽいもの(preciseでない推測)」に固執するのではなく、後から選択/経験を振り返る時に「新しい体験ができてよかったー」と思えれば良いのかなと思った 「新しい体験を目指す」ではなくて「新しい体験を幸せに感じる」くらいにとどめておくのが良いかなと ↑、なんかすごい人生において大事な事を掴んだ様な気になっている (今だけかも) この件を考えていて少し発展した。なぜ「移動」が重要なのか。人間の観測範囲は限られていて、遠くはよく見えないし、限界の外のものには気づけない。移動はそれまで見えていなかったものを見る機会で、当初の問いだった「選択肢をどうやって知るのか」に対する有益な手段の一つ https://t.co/rUv1Jtszr1 @[undefined]] [June 11, 2021 効率的・合理的な手段としての移動から、目的としての(非合理的≒文化的な)移動 これについては、「新しい体験」の...
...解は手段の一つでしかないのに、をするのはよくなさそう (ここでの「手段」は、本質的には手段である短期的な目標を指している) 何を言っているのか自分でも分からなくなってきた ↑この話は単に「ひとつの尺度に縛られないようにしよう」という話なので、行動を目的化すること(行動の理由として「幸福のため」のようにその先にあるものを意識しないこと)が悪いというわけではないかも、とも思う 逆に幸福を実現するという目的を中心にして行動を組み立てると、それぞれの行動が強い目的意識のもとに手段化してしまう それで目的が達成されるなら良い気がする? ではなくなら とかとかにこだわるより考えよう、みたいなのも同じ話だと思う (が出ている) 202204 を、最近は「社会課題解決とかみたいな事を目指さずに、プロセスの面白さのみを追求すべき」と言い換えてしまっていた気がする 元々はそんなこと考えていなかったが、 (Scrapboxに書いていたことを見返して気づけた) しかし、プロセスの面白さのみに依存/執着するべきではないのかも それこそプロセスに執着してしまった結果pivot出来ずにやりたい事が達成できないのも違う (目的達成による幸福が達成されないという意味で) 本質的には、ということでは やることの達成感とか、プロセスの面白さとか、色々な幸福のsourceがあるべきでは そういう意味で、社会の良くする様な何かを目指す/成す事も幸福のsourceの一つ な気持ち これだな〜 「社会変革を目指す」とか「引用される論文をたくさん書く事を目指す」とか「高収入を目指す」とか「」とかの目標は、それぞれがゲーム(行動に対して報酬が返ってくるシステム)であると言える? その中で、自分がどのゲームに没入するか(どのゲームの楽しさを感じるか)を考える、という感じなのかな 没入 = そのゲームにおける報酬を幸福と認識する、みたいな意味で使っている ここでそう i.e. 色々なゲームの楽しさを見出すことが大事 最初の「社会課題解決とかみたいな事を目指さずに、プロセスの面白さのみを追求すべき」に戻ると、 そうではなく、①プロセスと目標両方に幸せのsourceを分散するべきで、②目指す事もさまざまなゲームに分散するべき ということな気がする 20220629 あとは、そもそもってのがありそう 20220712 とか読んでいると、評価関数を固定的なものだと捉えない方が良いなと思えてきた 20220803 これ、いままで書いていた内容は結構的な前提がありそう......
よく見る 自分が(現時点で)目指している事を分かりやすく宣言するなら、「を無くす!」みたいなフレーズになりそう ただ、あんまり現時点でそういうstatementを宣言するみたいなの、やりたくない メリット 話が分かりやすいので、注目が集まりやすい あとは、その宣言を信じ込めば動きの方向性に悩まなくてすむ ただ、 デメリット 「目指す事」、結局のところ「自分にとって楽しい事」と「今の世界」が一時的にハマっている場所にすぎない そういう一時的なものに変に縛られても良くなさそうだなーという 自分の行動の目的みたいなのを対外的に宣言して、「それを目的に活動している人」としてラベルが貼られるのあまり嬉しくない なので、Twitterのプロフィールにも現時点の興味以上のことは書いていない それで良いんじゃないかなーと思っている 結局、ことのトレードオフと同じ話な気がする...