他分野の専門性を尊重した結果黙る
専門性の尊重大事 → 自分が雰囲気で考えた事を主張したところで間違っている可能性が高い → 黙る
という思考に、政治
政治
よく考えたら、↓の考え方、自分が比較的で社会が快適な側だから言える話だなーと思った 特に社会のシステムによってマイナーな不利益を被ってない 被る不利益は大体メジャーなものだから、まあ自分が頑張らなくても誰か頑張ってくれるだろうと思える 政治に対する最近の考え方 もちろん選挙で自分の主張は伝えるけど、それ以外の時に政治に対して一喜一憂するのは疲れるししたくないなーと思っている 政治に期待があまり無い なので、「政治が上手くいくことに喜び、上手くいかないことに怒る」のをやってても幸せになる気がしない そうなると、基本的には「海の波のようなどうしようも無いもの」として諦めておいた方が幸せなのでは?という考えになってしまっている ...
COVID-19
自分はなんだかんだほとんどダメージを受けていないなーと 得 オンライン期間は人生最高レベルに進捗が出ていた気がする ...
- ただ、それで黙るのも違う気がする
- どうすればいいんだろう?という最近の迷い
ここで、「間違っている可能性が高いものは言わずに黙るべき」という暗黙の論理が働いてる
この論理の妥当性を考察すべきかな?
- rel: 自分が正しいか分からない状態で他人に干渉するのが苦手
- ふーむ
- まず間違いなくまずいケースはある
- 広く社会に発信する場合
- 具体例:
- 雰囲気で考えたことを、正しい主張であるかのようにtwitterに流す
- 専門家が、専門でないことをマスメディアで語る
- 具体例:
- 広く社会に発信する場合
- それ以外の場合なら、間違ったことでも主張していいと思う
- 同じことが自分が正しいか分からない状態で他人に干渉するのが苦手に書いてありましたね。気づかなかった
- まず間違いなくまずいケースはある
- rel: 自分が正しいか分からない状態で他人に干渉するのが苦手
結城浩(@hyuki)
専門的な何かを少しでも学ぶ意義の一つに、専門家への健全な敬意を抱く点があると思う。「常識的で考えるとAと考えがちだけれど、きちんと研究すると実はBである」実例をたくさん見るからです。自分がよく知らない分野の場合、専門家の発言を自分の「常識」で安易に判断しないという意味です。 https://twitter.com/hyuki/status/1413307408043024385