カタカナ語の曖昧さ
IBJapaneseで、カタカナ語を頻繁に使いすぎるなよと先生が言ってた
- ex:「メタファー」「レトリック」
言語間で概念の切り分け?が異なるから、外来語を日本語の考え方に対応させるようとするとスコープが本来より広くなってしまう
- ってことかな? (の解釈)
- 英語の単語βは、日本語の単語AとBに重なる
- なので、βは本来より広いスコープを持つ
- (meta: スコープも外来語w)
- (metaも外来語w(と言うか英語))
- (meta: スコープも外来語w)
- このグリッドの細かさand/or位置が、言語によって違うってことなんだろうな
- 二つ言語を学べば、二つのずれたグリッドが重なる?
- そんなこともないか、概ね線はずれてなさそう
- - 英語だとcowとかoxとか全く別の単語になるものが日本語だと雌牛、雄牛、子牛、牛肉…みたいに「牛」を派生させて言葉が作られて、逆に日本語の魚の名前は英語では…みたいな話を聞く - 自然物だとそれを観測しやすい環境では言葉が細分化されるのだろう - 抽象概念に関しては英語が日本語かの差よりも、数学の語彙とかプログラミングの語彙とかの習熟度の差が大きそう