obuchi_yuki
#未踏2020 #AxStudio #筑波大
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#未踏2020 #AxStudio #筑波大
大衆に向けて有益な情報を発信的な というかファンをつけることの方が本質? これから発信してファンを増やしたいぞ!という人のための教科書|けんすう とか最近意識的にやってるぽいなーと思う とかも目的意識を持ってやってた 戦略的に運用してすぐ万フォロワーいってるのすげーなーと思った を広めるためのインフルエンサー的SNS運用、なるほどと思った...
, とかをみてると思う とか、とかのコード量を発表とかで聞く すげー、悔しいなーと のNHKのやつ見てても思った をどんどん書く、という気概を持ちたい たぶん意識の問題 未踏の最後の方は学校とかでもガーッとコード書いてた、あのテンションを常に持ちたい 実際その時楽しかった まあでも別に全部一人でやる必要はなくて、そういうのが強い人と協力するのでも良いのか その点との噛み合い方はいいな〜と 今のこの悔しさをエネルギーにしたい ただ今は流石にきつい () あー、いやむしろこうなっちゃうのが原因なのかも 別に余暇時間はある Kinetoの機能案とか、雑に書いたアイデアとかを、眠らせるのではなくに追加して実装する これ大事 手を動かすことによって仮説検証スピーディというのが一番の実装力欲しい理由 よりこっちを優先すべきなのかも? で直接は学べないことだし (mastとかsfcとかは学べるのかもだけど) あたりで、改めて振り返ってみたい EEで忙しかったのであまり まあでものプロトタイプとかは作った i.e. が欲しい のバランスを保ちたい...
...はこれを避けすぎていて良くないなー、となんとなく感じている (まだふわっとした考えだけど) 例えば、は僕には絶対作れていなかっただろうなーと思う 「UIデザインするだけでノーコードでiOSアプリ作れるソフトを作ろう」と思ったとして、「さあ0からFigma風ソフトとレンダラを実装しよう」とは僕はならない Figmaとかイラレのデーター読み込む方向でいけないかなーと試して、無理っぽそうだったら諦める気がする (これはのスーパー実装力による極端すぎる例な気がするけど) なーと思っているけど、その一つにつべこべ言わず車輪を再実装するような力が含まれているような気がしている みたいな 本当か? そもそも自体が目的の実装は、普通に楽しい とかみたいな、再実装で学びを得ることが目的のやつ 上の方で言っているのは、手段としてのにモチベを保てないという悩み 例えば「今までにない斬新なSNS」が作りたいとして、その過程の基本的なSNSの仕組みを作る作業にモチベが保てない 、こういうタイプの人をすごい幸せにしそう すごくわかります。そういう煩雑な開発の共通化に興味があります おっしゃる通り、車輪の再実装が目的の場合はやる気が出るので、ライブラリ/フレームワークを作るという発散のさせ方はかなりいい感じです こういう場合はあえてをするのが有効だったりしそう はそうしている 車輪の再発明とは別の話なので、作るものの新規性はここの論点ではないか この言葉の区切り方は新鮮ですね 学習目的で「車輪の再発明」という言葉をを前向きに使うことがあるが、この定義に沿えば「車輪の再実装」と呼べる /nishio/車輪の再発明 言及されてる > A: 既存の解決方法を知らずに、同じ解決方法を発明してしまう > B: 既存の解決方法は知っていて、入手可能な既存の実装があることを知らずに実装してしまう > C: 入手可能な既存の実装があることを知っていて、あえて実装する > C1: 知識の獲得や楽しさを目的としたもの > C2: 既存の実装に不満があり、改善することを目的としたもの はC1、はC2かな 車輪の再実装についてのpros,......