生権力
from History of Sexuality 生権力 https://kotento.com/2019/01/03/post-2230/
君主制に見られるようなかつての権力というものは、人々の身体を自由に拘束し、自由に命を奪うことのできる、死に対しての権利でした。
しかし、近代になると、君主の名ではなく国民の名において人々の身体はソフトに拘束(管理)されることになります。
それは死に対しての権力ではなく、生に対しての権力「生-権力」です。
- なるほど、そういう意味か
生命の経営・管理運営を通して、人々を権力の糸で数珠つなぎに拘束し統御するものです。
そのために、人間の生に対する根源的な衝動としてのセクシュアリテというものが活用されます。
主にこの生-権力というものは、人口の調整や身体の規律というものとして現れます。
生命の保護という大義によって、住民の生活を管理し、身体を規律化することです。
住民の健康管理、衛生管理、出産・死亡の管理、および身体の規律、調整、訓育、社会化、などです。
これは資本主義というシステムの成立条件でもあります。
その成立には、人口現象を経済的プロセスにはめ込み、人々の身体を生産機械の部品として組み込む管理体制が必要だったからです。
ここにおいて法はもはや権力そのものではなく、これらのシステムを正常に稼動させるための調整機関(正常化するもの)として機能しているのです。
人々を生-権力によって管理することにおいては、「普通(基準的)であること」が重視されるわけです。
- ここで正常性の話に繋がるのね