働きたくないから生活保護を受けてみた。毎日が豊かになった。
働きたくないから生活保護を受けてみた。毎日が豊かになった。|相川計|note
#生活保護
人生観にshockを与える記事だったなという気持ち
最近、「競争社会から抜け出して山にこもって研究したい」とか半分冗談で言っていた
- (実際実現できないだろうという体で)
- 馬路ゼミ将来設計とかでもそんなこと言ってた
ただ、実際に「社会を降りる」をやっている人がいるのか、という衝撃
- (記事をどこまで信用してよいかわからんが)「別に社会を降りるの可能だけど」と言われると、なんでこれをやらないのかを考えざるを得なくなる
だから、自分が本当に欲しいもの、自分が本当にそれ無しでは生きていけないようなものは、そう多くない。ましてそれに多額のお金が不可欠であることは、さらに少ないだろう。たとえば現代においてさえ多くの人々は「正社員になって稼ぎたい」と思っているが、稼いだ結果として何が欲しいのかは分かっていないはずだ。
- それはそう、前から思っていた
私の場合それは「学問の知と共に生きる」ことだった。これに必要なのは、せいぜい書籍代とインターネット回線だけである。学界での評価なり、研究者としてのポストは自分にとって不可欠なものでない。
- いや、自分もこれでは..?というように思ってしまった
これを実際にやるかは別として、本当にこの選択肢が存在するなら人生をやる上で気が楽になる
@blu3mo: (本当にこれが可能だとして)なぜ自分がこの道を選ばないのかという問い、人生を考える上で大事な気がする https://t.co/I5J3G0ITGw
なぜこの道を選ばない?
- 国の制度の変化次第では人生が成り立たなくなるのはリスキー
- 結局まあハッピーにお金が稼げる職があるならそれで良い
- 金がかかる趣味の場合
- 井戸端の人がやっている例を出すなら、3Dプリンターや電子工作がそう
- だと登山とか
- これらを健康的文化的最低限度の生活を営める程度のお金でやるのは不可能に近い
- +1
- 井戸端の人がやっている例を出すなら、3Dプリンターや電子工作がそう
- 記事にある学問の場合も、理工学的な研究やフィールドワークをしたい場合はやはりお金が必要になる
仮に「社会を降り」ないとして、理由を考えずに大多数の流れに従うのではなく、降りる選択肢を認識した上でよりbetterな選択肢として社会で行きるようにしたいなと思った
- 常識の根拠を自分で再構築した上で常識に従うように生きたい、という気持ち
- よき
論点: 本当に制度的にできるのか
論点: 本当に自分が出来るのか
- 比較的1人での楽しみを見つけられるタイプではあると思っている
- ただ、これを1~2年とかではなく一生やりたいかと言われるとわからないな
- 制約が多い故に人生に変化が生まれなくなることを、自分は好まない気がする
(あと、奨学金等で自分をサポートしてくれた人々は自分が社会を降りるを望まない気はする)(それに人生を縛られるつもりはないが、その存在も意識はしたい)