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...機械的個人最適化の影響を受ける範囲が「Reality」まで広まることの批判 フィルターバブル的な > スマートフォンでの通話、オンラインショッピング、ゲーム、ソーシャルフィードのスクロールなどのに毎日が流されてしまいます。このような状況下では、人間と人間の場合には許されないような行動を取ることが許容され、アルゴリズムが端的な見方を強化するバブルの中に人々を押し込み、社会が分断されてしまっています。(Niantic) あ〜、これ元々論じたかったあたりだな これに該当する倫理の基礎付はなんだろう..? みたいなことを考えて逆算して説明する感じか 技術を根拠に批判に耐えうる未来の「メタバース」像をでっちあげるのももはや無意味 ユートピアをデザインしてこれは良いと主張することに大して意味はない ただ未来の技術ベースの話もしたいので、バランスが難しい所 Big Techが力強いのはDystopia、という主張に関してはまあせやなという気持ち そうではなく、「現実」逃避は良くないみたいなのオチみたいな主張を批判したい 文献を取りあえす流し読みしてワードを引っ張り出したい これ、結構扱いたいトピックに近い ここにあるような議論をベースに、未来について話したい気持ち って概念 これが細分化・個人最適化していった先にはindivisual cognitive realityがあるのでは? by の 見た感じ、にフォーカスするのが良さそうだな 等を深掘ると脳寄りにも心理寄りにも行けてしまうけど、そこまで行っている余裕はないので一旦は「」を軸に考察を進めていきたい https://researchmap.jp/takakusa/presentations/15514124/attachment_file.pdf > 意味領域の交錯と技術——シュッツの多元的現実論の応用 多元的現実論とをつなげる > シュッツの「」という概念は、「現実/非現実」というリジッドな二分法を採用するのではなく、経験する主観によって意味的に構成されるものとして「現実」を扱う立場に立っている。つまりシュッツの立場では、「現実」と「非現実」の関係ではなく、「日常生活世界の意味領域」と「ゲームの意味領域」(とその他の意味領域)の関係が問題になる おっ、「意味領域」気になる 現象学的社会学は、主観に還元した上でそれでもが生まれるという話っぽい それがどう社会で生まれるか、みたいな が出来そうな話として、そもそも無いほうが良いのではみたいな話ができそう その上で、realityを翻訳するような世界観を妄想していたりする ちょっと......