バイアスはあるし客観的に考えられないし雰囲気で考えてしまう
バイアスはあるし客観的に考えられないし雰囲気で物事を考えるてしまう
- なんか、↑のような事を理想としていても、実際常にはできないよな〜と(?)
- 悲しい気持ち(?)(感情を言語で説明する思考プロセスをする)
- というより怖さ?
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バイアスはあるし客観的に考えられないし雰囲気で物事を考えるてしまう
目標を一言でいえば、理性の批判 同時に、理性を信じていることへの批判でもありそう 前提として、の関係を掴むのが大事だな : 経験できるものベース : 頭の中の思考ベース みたいな感じかな? は、合理論批判でもあるっぽい アプリオリは、経験論的な「経験」をせずとも持ち合わせている カントはこの二つを統合した 仮像 真実とは異なる見かけ・先入観 の定義とかでも言われている話だな 仮象とかいう時の、何か絶対的真実/本質が存在するという仮定が疑問❓ カント以前から、経験的仮象はあるねと言われてきた 感覚的な錯覚とか カントはそれにとどまらず、もあるねと言った 理性, に対する疑い とかあるよね、という 、みたいな主張だな のとかもこれの先駆けではあったが、それを徹底してやったのが > がその徹底性のあまり行き過ぎに陥った とは? 徹底しすぎてこまることがわからん この二つを分けて話すの、あまりしっくりきていない❓ レイヤーが違うと言いたそうだけど、そう..? 超越論的仮象あるやんとなった例として、 真も偽も理性で証明できてしまう、みたいな時 例1: 時間が無限/有限かという問い うーん、なんかどっちの「証明」も議論が雑な気がしてしまう 色々ツッコミどころあるし、もっと数学/物理学で緻密に議論できるだろ、と思ってしまった まあでもこのツッコミどころ有りbilityはどこまで突き詰めてもあると推論して、理性を批判している? でもその推論は結構疑問だな 今の所、カントの理性が微妙という話しかされていない気がするw まあでもこれは例/原体験の一つでしかなくて、これをもっと続きで議論してく感じかな 3......