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目標を一言でいえば、理性の批判 同時に、理性を信じていることへの批判でもありそう 前提として、の関係を掴むのが大事だな : 経験できるものベース : 頭の中の思考ベース みたいな感じかな? は、合理論批判でもあるっぽい アプリオリは、経験論的な「経験」をせずとも持ち合わせている カントはこの二つを統合した 仮像 真実とは異なる見かけ・先入観 の定義とかでも言われている話だな 仮象とかいう時の、何か絶対的真実/本質が存在するという仮定が疑問❓ カント以前から、経験的仮象はあるねと言われてきた 感覚的な錯覚とか カントはそれにとどまらず、もあるねと言った 理性, に対する疑い とかあるよね、という 、みたいな主張だな のとかもこれの先駆けではあったが、それを徹底してやったのが > がその徹底性のあまり行き過ぎに陥った とは? 徹底しすぎてこまることがわからん この二つを分けて話すの、あまりしっくりきていない❓ レイヤーが違うと言いたそうだけど、そう..? 超越論的仮象あるやんとなった例として、 真も偽も理性で証明できてしまう、みたいな時 例1: 時間が無限/有限かという問い うーん、なんかどっちの「証明」も議論が雑な気がしてしまう 色々ツッコミどころあるし、もっと数学/物理学で緻密に議論できるだろ、と思ってしまった まあでもこのツッコミどころ有りbilityはどこまで突き詰めてもあると推論して、理性を批判している? でもその推論は結構疑問だな 今の所、カントの理性が微妙という話しかされていない気がするw まあでもこれは例/原体験の一つでしかなくて、これをもっと続きで議論してく感じかな 3......
(ほぼ)単だから、そもそも民族って概念がない? とは異なるがあるのを日本人は不自然に感じる ちょくちょく西洋との比較も出てくるから、戦後の日本と世界の違いについても知れる [後知恵]]がかかってないから、ある意味neutralな分析 今よりも日本の文化/制度の独特さが強かった時代っぽい 今よりも世界のが進んでなかったころなんだろうなーって思う 「(当時の)日本はXXだけど西洋ではYY」って本に書いてあるけど、現代日本もYYだわ、みたいなことが多かった...